「十勝の森林鉄道」を読んで

出典:帯広市図書館 在架

帯広市図書館で、「十勝の森林鉄道」という本を読みました。

昔、今では考えられないくらい鉄道の路線が敷かれていました。私は、北海道拓殖鉄道や十勝鉄道については知っていましたが、森林鉄道が人も来ないような場所まで敷かれていたことに驚きました。

そこで、代表的な森林鉄道について述べたいと思います。(路線図はありませんが、主要な路線の終点を地図上にプロットしました)

1.音更森林鉄道

昔、登山やキャンプ、岩間温泉へ入るため音更川本流林道を良く車で走りました。そこには、石狩岳シュナイダーコース登山口に御殿大橋という橋があり、一帯がとても開けていました。その頃から、昔に林業で栄えた場所だったという知識はありましたが、まさかここまで森林鉄道があったとは思いませんでした。

また、ユニ石狩岳登山口付近に小さな橋があるのですが、そのあたりに音更本流御殿という立派な建物があったそうです。しかしながら、今は何もないただの山裾といった感じであり、想像することもできません。

2024年現在、音更川本流林道は不通の状態が続いています(回り道で音更大橋より上流部へ行くことができます)。登山をしなくなって久しく行っていませんが、いつか調査をしたいと考えています。

2.十勝上川森林鉄道

新得町に、屈足の町があります。今は過疎化が進みましたが、私の若い頃は不自然に街が大きくて賑やかでした。そして今も、毎年行われるイベントがあったりと、他の集落とは一線を画する賑わいがあります。どうしてでしょうか。

それは昔、屈足には北海道拓殖鉄道の駅があり、かつ森林鉄道の終着駅もあったからです。屈足は、十勝川上流域の木材の貯木場として大いに賑わったようです。また、森林鉄道は廃れるのが早かったですが、十勝川上流域の電源開発のおかげで、十勝三股とは違う道を歩んだようです。

さて、森林鉄道ですが、十勝川の最上流部であるシイ十勝川上流域まで敷かれていました。その終点は、シイ十勝川に最後に架かる橋付近やトノカリウシュベツ川の上流部、ホロカ十勝川流域にまで及んでいました。これってすごいことです。今や林道がズタズタになりつつある場所に鉄道が敷かれていたのですから。

対して、トムラウシ川沿いは、あまり森林鉄道が延びませんでした。トムラウシ川は、渓谷の深い場所が多いからでしょう。

途中にあるチカベツには、保線のための機関庫があったようです。今は農家こそありますが、静かな場所に還っています。

3.足寄森林鉄道

足寄町の阿寒国道より北側のエリアって、山深く、あまり人が来るところではありません。ところが、この足寄川流域に森林鉄道が走っていました。それも、川の最上流域にまで敷かれていたことにびっくりです。足寄町の名瀑、「白藤の滝」付近にまで及んでいたなんて信じられますか。

地図で見てもらえば、どれだけすごいことか判っていただけると思います。

4.陸別森林鉄道

陸別には、今も「ふるさと銀河線」の一部が残されており、実際に気動車を運転することもできます(投稿時)。今でこそ陸別は鉄道がない町ですが、昔は国鉄池北線や森林鉄道があり、後で紹介する斗満森林鉄道と合わせて鉄道で賑わった町だったのです。

陸別森林鉄道は、陸別川沿いに路線を延ばしました。今は津別町へ抜ける道に往来が多いですが、陸別森林鉄道は陸別川の本流沿いに敷かれていました。今は静かな土地も、昔は賑わっていたのでしょう。

5.斗満森林鉄道

一番意外な森林鉄道が、斗満(トマム)森林鉄道です。申し訳ありませんが、斗満って十勝でも知名度が低くて知らない人も多いと思います。そんな斗満川流域に森林鉄道が敷かれたなんて、ほんと想像が付きません。(私が過去に一度、釣りに行ったことがあるだけのせいかもしれません)

斗満森林鉄道の本線は、北稜岳の登山口付近まで続いていました。そのため、今も登山者がやってくる場所ではあります。しかしながら、支線に人が入ることはほとんどないでしょう。今は、人もほとんど住んでいないエリアです。すごすぎます。

6.後世にその歴史を残したい

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森林鉄道の記憶を残す人は、今後激減すると思います。私の母は十勝鉄道を良く利用しましたが、十勝鉄道の痕跡もほとんど残っていません。そして少子高齢化により保全活動も少なくなり、人々の記憶から消えようとしています。

しかしながら、先人の歴史を残すことは重要です。少子高齢化が進み困難な時代が訪れている現代ですが、森林鉄道に携わった人たちの苦労から見れば、取るに足らない事だと思うのです。確かに今は大変な時代ですが、まだ命に係わるほど深刻でもありません。先代の命懸けで生活してきたことを思えば、恵まれているでしょう。

だからこそ、先人の歴史を残すことが重要です。そういう苦労を知った上で、自分達の生き方を考えることが重要ではないでしょうか。